・南北非武装地帯で銃撃戦 北朝鮮発砲、被害なし
共同通信 - 8月1日9時35分更新
【ソウル1日共同】韓国紙、東亜日報は1日、同国北東部・江原道の南北非武装地帯(DMZ)内の軍事境界線付近で7月31日夜、北朝鮮の人民軍監視所から韓国軍の最前線の監視所が銃撃され、韓国軍が応射したと報じた。銃撃戦はすぐに終わり、韓国側兵士に被害はないという。
韓国軍の合同参謀本部は銃撃戦に関し正式発表はしていない。東亜日報によると、韓国軍は全軍で警戒態勢を強化した。南北がDMZ内で銃撃戦を行ったのは2003年7月17日以来で、2000年の南北首脳会談後は3度目。
東亜日報が伝えた軍消息筋の話では、31日夜、銃弾2発が韓国側監視所に向けて撃たれ、うち1発が監視所の施設に当たった。これに対し韓国軍は6発発砲。北朝鮮側から追加射撃はなく、銃撃戦は拡大しなかった。
テポドン2の発射も記憶に新しいこの時期にも関わらず、韓国軍の規律が乱れている。同僚同士による銃撃戦が行われたのだ。
・軍でまた同僚銃撃事件、2名死傷し犯人は脱走
朝鮮日報 2006/08/10
京畿道のある陸軍部隊で兵士1人が同僚兵士2人を銃撃した後、K2小銃と実弾10発を持って脱走した。
銃撃された兵士2人のうち、1人は死亡した。
10日午前1時ごろ、京畿道加平郡下面懸里の陸軍部隊でイ某二等兵(20)がキム某兵長とパク某上兵の同僚兵士2人を銃撃後、武装して脱走した。
事件直後、パク上兵とキム兵長は京畿道盆唐の国軍首都病院で緊急搬送されたが、左肩貫通の重傷を負ったパク上兵は午前4時45分ごろ出血多量で死亡した。
キム兵長は腕に負傷したが、生命に支障はないとのことだ。
イ二等兵は同僚兵士らとともに境界勤務を終え部隊に戻る途中で、犯行の動機はまだ明らかになっていない。
軍は事件直後、京畿道加平郡一帯に対スパイ浸透作戦のうちの最高レベル警戒態勢にあたる「珍島犬1」を発令、検問を強化してイ二等兵を追跡している。さらに部隊関係者を対象にイ二等兵が同僚兵士を銃撃した経緯についても調べている。
軍では「イ二等兵は身長174センチ、体重75キロの中肉中背で、戦闘服を着用している。十分警戒し、挙動不審者がいたら、直ちに近くの軍部隊や警察署に届け出るように」と注意を促している。
そして、ついに、1名が死亡し、対スパイ浸透作戦のうちの最高レベル警戒態勢にあたる「珍島犬1」が発令されたようだ。緊張感のない「珍島犬1」という言葉はさておき、韓国兵の同僚殺害の話をしばしば耳にする。敵国の北朝鮮との戦闘による被害よりも同士討ちによる被害の方が大きいではないか。アメリカにも見限られているこの国は、自分の力で自国を守れるのだろうか?
・韓国軍でのいじめの実態。
散歩道 2005年 06月 20日
韓国兵が手りゅう弾投げて銃乱射、同僚兵士ら8人死亡
[ソウル 19日 ロイター] 韓国軍の前線部隊に所属する兵士が19日未明、上官から叱責を受けた後、手りゅう弾を投げ入れ、銃を乱射した。同僚兵士8人が死亡し、2人が負傷したという。
韓国国防省が明らかにした。
国防省の報道官が、全国放送のテレビで説明したところによると、この兵士は、ソウル北方約60キロの京畿道漣川郡にある自身の管轄区域で、夜勤明けに兵舎に戻った際、手りゅう弾を投げつけ、さらに上官や同僚に銃を乱射したという。
同報道官によると、兵士は以前から、上官の言葉による暴力などに苦しんでいた。
負傷した兵士2人は軽症だという。
韓国軍での苛めの酷さは、NAVERでもよく耳にする。
もうすぐ徴兵という韓国人は、本当に悲痛な嘆きを書き込んでいる。
いじめの実態は日本…というよりも先進国では考えられないようなもので、これを文化の違いで片付けていいのかなあと言うレベル。
同じ人間として扱うこと事態が間違いではないだろうか。
同僚を撃ち殺したくなる理由とはいったい何なんだろうか?
むごいイジメか、火病か想像の域を出ないので具体的な文化の違いとやらを垣間見たくなってしまった。だが、この興味が、私を後悔させる事になってしまった。次の記事を読んでいただければその理由がわかると思う。
・「最近、軍隊はよくなった」のに、なぜ人糞事件は起きたのか
大韓民国の兵士が置かれている現実 かけはし2005.3.14号
初めて兵士の月給問題を扱う
02年冬「ハンギョレ21」合併号(427号)は当時、平均2万余ウォン(約2千円)にすぎなかった兵士の月給問題を、初めて提起した。読者たちは熱い反応を示したが、初めに編集陣に対して兵士の月給問題を取りあげるべきだとの問題を提起したとき、編集陣の反応は、いまいちだった。
特に軍隊を経験してきた男性記者たちは、大韓民国の国民ならだれもが知っている問題なのに、今さら何で話のネタになるだろうか、と言って首をかしげた。
そのとき、女性記者の1人がジャンヌダルクよろしく乗り出したおかげで、大韓民国では初めて一般兵の月給問題を記事として取りあげることになった。それなりに念を入れて一緒に作業をし、本ができあがり、街頭の立ち売りに並べられた本を見た瞬間、顔が火照ってしまった。
私も経験した「トイレ」問題
表紙には大きな活字で「大韓民国の兵士は物乞いなのか」と書かれていたからだ。日当700ウォン(約70円)とは何事かと口角、泡をとばしつつ問題を提起したものの、実際に極めて「煽情的」な見出しを見ると心苦しくもあり、耐え難い気持ちにもなった。そうこうするうちに、この見出しはよくぞ付けたと思い直しもした。「そうだ、どんなにあがりの少ない物乞いといえども日に700ウォンにならないなんてあるだろうか?」と……。
兵士の月給問題は切迫していた大統領選挙と時期的に重なって、各党の候補たちが公約として取りあげるところとなり、わずか2年の間に月給は何と70%以上も引き上げられた。もともと出発点が低いのだから70%上がったと言っても平均3万5千ウォン程度にすぎないが、55万人の兵士の月給をそれぐらい上げようとすれば、年に1千億ウォン内外の予算がかかるのだから、実に高価な文章を書いたわけだ。
「大韓民国の兵士は物乞いなのか」という見出しを見て心苦しい思いになったときから2年余の時が流れたいま、われわれは「大韓民国の兵士は犬以下なのか」を論じなければならないという、さらに一層、惨たんたる現実に出合っている。
世界最大の単位部隊で、韓国のすべての訓練所の中で最先端を行っているという論山訓練所で、中隊長がトイレの掃除がキチンとできなかったとの理由で訓練兵たちに便器の人糞を食わせるという事態が発生したのだ。事件が伝えられるやインターネットには、ありとあらゆる話が乱舞した。
私も論山で訓練を受けた時、トイレ掃除のせいで食事の途中に2段蹴りを受けたことがある。専任下士官が「○○番、トイレ掃除をさせて報告せよ」と事もあろうに私の番号を呼んだ。内務班に食事が到着するやいなや、みんなは掃除をせずに「メシだ」と言って行ってしまったのだ。「さっき指示されたのは誰か」という大号令に及び腰でいると、ずばり2段蹴りがやってきた。エサを食べている時は犬も殴らないというのに、あゝ、軍人は犬にさえも及ばないということを間違いなく実感した。
(省略)

糞を食わせれば、いくら同僚でも殺意が湧し、軍規も乱れるのが当たり前である。一連の乱射事件や、ベトナム戦争における韓国軍によるレイプ事件の問題は、そもそも朝鮮人が野蛮で残酷な体質であることに原因があるに違いない。
・侵略をしない平和民族!世界平和の象徴がコリア人だ!
大日本焼肉文化研究所blog
★野蛮!
■罪が無い子豚に「小泉」と書き・・・。
・日本人には理解できない!
★残酷!
■李氏朝鮮時代・・・捏造以外の唯一の朝鮮文化「拷問」!
・拷問道具の数々!創意工夫が表れている!何故こんなに熱心なの?
・道具の使用例。(足の骨を折る等の残虐すぎる写真は自粛しました)
■大韓民国時代・・・韓国人が韓国人を大虐殺!信じられない!
・1950年、デジョン刑務所の虐殺事件(死者1800人)の写真。
・その他、「保導連盟事件」等の虐殺事件が韓国では完全に隠蔽されている。
※保導連盟事件・・・共産分子の粛清。「自首すれば無罪」と騙し、捕らえてから粛清!
1950年 朝鮮戦争 4000000人死亡
1950年 保導連盟事件 300000人死亡←これ
1951年 国民防衛軍事件 100000人死亡
1948年 済州島4.3事件 30000人死亡
1951年 居昌事件 8500人死亡
1980年 光州事件 2000人死亡
★卑劣!
■何故か日本の罪だけが「蝋人形」などで語られる。(証拠0!)
李氏朝鮮の残酷・・・写真資料があるが隠蔽。
大韓民国の残酷・・・写真資料があるが隠蔽。
日帝の残酷・・・・・・・写真資料0!(むしろ天国のような写真が多い)蝋人形だけで大宣伝!
野蛮、残酷、卑劣の結晶!
ちなみになぜか蝋人形の拷問方法が李氏朝鮮の拷問方法と同じなのだというつっこみは入れないように。
また、当然朝鮮人を尋問するには朝鮮語のわかる朝鮮人が尋問していたし、当時、朝鮮総督府の警官の大半は朝鮮人だったというつっこみも入れないように。
現在、イラクの警官がアメリカ人ではなく、イラク人なのと一緒である。
母国語を話せない人間が警官など出来るはずがないし、日本人が大量に朝鮮人のために朝鮮語を覚えるほどお人好しではない(学校の先生は大量に朝鮮語を覚えて朝鮮で教師をしたそうですが。
コリア民族はあまりにも弱かったので侵略することは出来なかった。
周りが日本、中国、ロシア、遊牧民とあまりにも強い国家、民族だらけで勝ち目はなかった。
というか、それ以前にコリアは中国の属国であり、強力な軍隊を持つことも出来ず、国難には中国から援軍を派遣してもらう有様だった。
朝鮮戦争でUSAと中国軍が戦ったのがコリア半万年の歴史の象徴であろう。
朝鮮の文化・伝統として、拉致や捏造に加えて「拷問」もあったことを思いだした。
みなさんが、上記の罪のない子豚を虐める写真を見た時に、目を覆いたくなったと思う。では、当時の日本軍が朝鮮人の文化である拷問を目の当たりにした時にどう感じたのだろうか?
きっと、我々の気持ちと同じで、拷問をやめさせようとしたに違いない。旧日本軍が、朝鮮人を拷問したという話をしばしば耳にするが、わざわざ証拠を提示する必要もなく、気持ちを察すれば捏造であるということがわかる。一応、証拠も提示しておくが。
・コリア人を弾圧した警察の正体。。。。。。見るな!真実を!
大日本焼肉文化研究所blog
↑独立記念館の拷問の蝋人形。
↑実際は、拷問などありません。
↑李氏朝鮮時代の拷問を廃止し、
↑裁判制度を朝鮮で始めたのは総督府です。
↑もし仮に独立記念館で展示されてるような
↑拷問があったとしても、憲兵隊は朝鮮人です。
韓国内では、隠蔽されてますが
憲兵隊のほとんどは朝鮮人です。
(全部かも知れない?)
独立記念館などに、日本人憲兵隊と
記載されてますが、捏造です。
管理職に日本人はいましたが、
憲兵隊のほとんどは朝鮮人です。
名簿を見ても、日本名は1人です。
この資料は、独立記念館に
展示出来ますか?
それとも、隠蔽しますか?

李氏朝鮮時代の拷問を日本が廃止したというのが真実である。しかし、独立記念館で展示されている内容は、その逆で、朝鮮人憲兵が実施していた拷問を日本人が実施していたことになっている。このまま捏造された独立記念館を放置してよいのだろうか?
それを考えるために、独立記念館を訪れた日本人の感想がかかれたホームページを無作為に探すこととした。まずは、こちらから。
・2日目 独立記念館
韓国学会レポート 2002年7月4日〜8日
入り口には「韓中共同抗日闘争」特別展。もうここから緊張感が走る。残虐の限りを尽くした日本人、そこから正義を貫いて命をかけて独立しようとした人々…ここで「ナヌン、イルボンサラム、イムニダ(私は日本人です)」というようなことを言ったら袋叩きにされそうな雰囲気に包まれた。
気をとりなおしてなぜか忍び足で館内へ。最初の展示場は新羅・百済時代の豪華な寺院建築の模型など、安心して見られるものばかりだった。展示場はいくつかの建物からなり、それぞれテーマに沿って展示されている。順路に従って見ていくと、建物から建物へと移っていけるようになっている。大掛かりな展示が多く、この記念館を製作した人々の意気込みが伝わってくるようである。などと余裕を持ってみていられたのは最初のほんのわずか。ほどなくして日本による韓国への侵略がメインの展示になっていく。三一闘争における日本兵との一騎打ちの再現シーン、皇后の暗殺の等身大再現シーン、拷問の等身大再現シーンと、リアルで残酷な展示に息が詰まってくる。しかもそれらの人形は人が近づくと首をふったり、まばたきをしたりするのだ。明治大学刑事博物館で「世界の拷問展」を見たことがあるが、そこでは拷問器具だけが展示されていた。しかしここでは拷問されている韓国人自体に焦点が当てられている。(写真右:立ったまま動けなくなる拷問部屋。窓からはこの部屋に入れられた韓国人の人形が見えるようになっている)
見にきている人もまた気合が違う。「韓国は日本や西洋諸国の侵略をはねかえし、独立すべきだ」という演説をしている人形の前で、女子中学生たちが拍手をしている。日本で爆弾テロを起こした英雄たちの映像の前からずっと離れない老人。決して日本の侵略行為を肯定するつもりはないが、日本に攻められたがゆえに魂に火がつき、その火が今もなお燃えて愛国心に結びついているというのが伝わってきた。(写真左:日本兵に連行される韓国人の銅像)
ぶっ続けで2時間見て、出てくるころにはヘトヘトになっていた。日本では「韓国併合」という史実を学習しても、日本の行った残虐な行為については具体的に学ぶ機会がほとんどない。しかし韓国人はそれを忘れないでいる。学んだからすぐに何かができる、結論を出せるということではないが、戦争から隔たった世代だからこそ、自虐史観と言われようが学んでおくべきではないかと思う。
帰りはバスで駅まで。駅から特急セマウル号にのって1時間ほどでソウルに到着した。料金は4200ウォン(420円)で、鉄道も安い。地下鉄に至っては1区間600ウォン(60円)だ。韓国人留学生の知り合いに予約してもらっていたホテルに着いたのは夕方だった。
その日の夜はホテルで一緒になった中国人留学生と夕食。韓国料理屋はキムチなど「お通し」が無料かつおかわり自由で、それだけでもお腹いっぱいになるのに、その上注文した料理の盛りもいい。さんざん飲んで食べて、13,500ウォン(1,350円)。ただ日本の侵略行為の話になると、留学生の顔もちょっとこわばった。
独立記念館の中は、日本人を袋叩きにしたいと思わせる空気がヒシヒシと伝わってくるとのこと。第三国の中国人留学生も顔がこわばるほど日本人に対して敵意を植えつける場所のようだ。続いて、こちら。
・会報No_9-8 2000-4-40
日韓市民ネットワークなごや
13.愛知教育大学 教育学部 社会科 1年※文中のリンクは私が勝手に付与
「日韓学生交流の旅」は、史跡を見たりホームスティをしたりと、本当に充実した六日間でした。あっという間に過ぎてしまった思い出の日々をまとめます。
まず初日は、予定より30分遅れて金浦国際空港に着きました飛行機の中から見たソウルは、高層ビルが密集して立ち並んでいました。
又、人々の家の屋根は赤や青などとても鮮やかな色で、私は韓国の独特の色使いを感じました。その後、バスに乗り、独立記念館へ向かいました。
その途中、パーキングエリアで売店の人と韓国語の会話にチャレンジしてみました。私の話し方があまりにもたどたどしかったので、売店の人は私が日本人だと分ったらしく、結局日本語で会話をしてしまいました。
私は上手く話せなくて悔しかったです。独立記念館はとても広く、七つの建物がありました。四世紀から現代までの朝鮮半島の時代の流れが工夫して展示してありました。特に印象に残っているのは、第二次世界大戦中に日本人が韓国に人にした残虐な行為が人形によって展示してあったものと、従軍慰安婦についてのドキュメント映像です。私は、過去の事実を目の当たりにしました。
自分がいかに曖昧に学んできたかを思い知りました。人が人をこのような目にあわせるなんて、信じられないというか信じたくありませんでした。
日本の教科書は、なぜ原爆など被害を受けたことばかり取り上げて、自分達がしてきたことには少ししか触れていないのだろうか。
今の教科書や学校教育は真実を伝え切れていないと思いました。
宿泊したホテルではオンドル部屋でした。オンドルは初めての経験でした。予想以上に温かく、暑いくらいでした。
(省略)
14.愛知教育大学 教育学部 日本語教育科 1年
長いようで短かった六日間。今回この旅は、私にとってとても充実したものになりました。参加することができて、本当に良かったと思っています。
一日目に見た独立記念館では、なんと言っても日本兵による韓国人拷問の展示が印象的でした。一緒にいた友達は、「日本人であることが嫌になった」と漏らしていましたが、私も「こんなものを見たら日本人を嫌いにならない方がおかしい」と思いました。
独立記念館は六つくらいの建物に分かれていて、最初のほうは古代の文化などを展示していました。私はそれらを見て日本の古代文化ととても似ていると思いました。
日本の文化がいかに韓国の文化の影響を受けているかが分かりました。しかし、見学を進めていくうちに韓国の歴史は日本からの独立に変わっていきました。
日本は韓国からいろいろな文化を吸収してきました。しかし、日本が韓国に与えたものは拷問や虐殺などの侵略行為だけです。私はその事実に悲しくなりました。
韓国と日本はとてもよく似ています。しかし、日本には独立の歴史がありません。そこが、日本と韓国の違いだと思います。
韓国人は日本人より精神的に強い気がします。韓国は小さな国ですが、まがりなりにも大陸に属しているんだ、とそんな印象を受けました。
(省略)
独立記念館では、拷問だけではなく、従軍慰安婦の捏造話も上映されていることがわかった。捏造だらけである。そこでの感想にある、「日本には独立の歴史がありません」という言葉に脱力感が抱いた。独立の歴史がないのは、植民地が当たり前の時代に、内乱を起こしたら国が滅びることを悟った先人たちが、武士の誇りよりも和を尊ぶ方を選んだ結果である。これは、我々が誇りにすべきことである。この成功の秘訣を伝授すべく明治維新政府が、朝鮮に申し出たが、国書中の「皇」という文字が気に入らないというくだらない民族の誇りによって、拒否された。その後、どうなったのかは、「事大主義の悲劇」に詳述されているので、触れないが、朝鮮の悲劇は自らがよんだものであるとだけ言いたい。
このような背景を何も知らない多感な学生は、「戦争から隔たった世代だからこそ、自虐史観と言われようが学んでおくべき」という意気込みのもと、現地で、さも真実を学んだかのように間違った歴史を学んでくる。人様のことを言える義理ではないが、正義感だけが強い無知が、一番厄介かもしれない。誇るべきことを知らずに、捏造されたことだけを覚えた学生達は、何れ親となっていく。そして、自分の子供たちに間違った教育をしていく。まさに、戦後、時が経つにつれて日本への憎悪感が増していく構造的な問題の縮図を見た気がした。
これは、不勉強な学生個人の問題ではなく、誇るべきことを教えない学校教育に問題があると思う。また、「日韓学生交流の旅」と称して、わざわざ捏造された独立記念館に足を運ばせるスケジュールを組む団体の思想にも疑問を感じる。
この問題を解決するのは時間を要するので、手取り早く、韓国に対して独立記念館の閉鎖を要求して欲しい。これが、外務省に対する私の小さな願いである。ベトナム戦争の混血児問題で、加害者の韓国が、経済力をちらつかせながら、立場の弱い被害者のベトナム政府に高圧的な態度を示したのと同じように、きっと我が国も上手にできるはずだ。
以上を通して、朝鮮人は、嘘が平気でつけて、野蛮で卑怯ということが確認できた。大陸や半島に住む人間が残虐な性質を持つという地政学的な考え方の正しさを裏付けたかたちだろうか。
そして、以前ご紹介させて頂いた下記記事も十分考えられると納得できた。
・国益を蔑ろにし、敵対国家朝鮮の意向を垂れ流すマスコミ
「大阪の一隅に生きて七十年―私の総括―」上田等(創生社 2002年11月)73頁
吹田操車場へ乱入デモをし、岸部から国道を吹田に向かっていたとき、デモ隊の後方からウィポン車に乗った茨木警察の一隊がデモ隊を追い越して先頭に出ようとした。
これに対して火炎びんで攻撃を加えた。
警官は車から転げ落ち、田植えをしたばかりの田圃に逃げ込んだ。
火傷した警官が逃げられずに路上に転がっている。
デモ隊はそれを竹槍で突こうとした。隊長だった私はそれを止めた。
日本人は止めた。
朝鮮人は何を言うか、やってしまえと、ピストルも全部奪ってしまった。
日本人は巡査をやっつけろと火炎びんを投げたけど、殺す気はなかったから、無抵抗になった奴を竹槍で突くことはできなかった。
朝鮮人は突いた。
止めたら日本人は言うことを聞いたが、朝鮮人は怒った。
その差がいまだに分からない。民族が違うからか。
私の思想が中途半端なのか。
殺してしまってもよいという所までになっていないことは事実だ。
ビビった。
その差というのが、いまだに分からない。
朝鮮人教育闘争のときにも、南警察署だったか税務署だったかを襲撃した。
あのときも、日本人は勝ったらそれで終わったが、朝鮮人は頭を割るところまでいく。
そのときもビビった。
最後に、北朝鮮における拷問もご紹介し、おしまいとする。
・強制収容所 (北朝鮮)
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強制収容所(きょうせいしゅうようじょ)とは、朝鮮民主主義人民共和国において、犯罪者を収容する施設のこと。特に政治犯を収容する施設をいうことが多い。日本でいう刑務所や大韓民国でいう教導所にあたるが、これらの国での犯罪者への待遇とは違い(これらの国の刑務所などにおいて重大な人権侵害の事案が存在しないわけではない)、彼らには非常に過酷な労働(一日16時間以上という例もある)を課せられたうえ、警備員による非人道的な暴行(性的暴行を含む)を受ける。一度入ると二度と外へは出られず、政治犯収容所では警備員の裁量で正当な理由がなくして何時でも銃殺されることがある。
【追記 H21.6.19】
李氏朝鮮時代の拷問に関する資料を以下に記す。
・朝鮮の夜明け前 p18
朝鮮軍司令部 1904‐1945
明治初年の頃の朝鮮はどんな国情であったのだろうか。その状態は500年の昔のままだったのだ。日本歴史でいえば足利義満が金閣寺をたてた時代のままに800万人の人民が暮らしていたのだ。このへんの実情は、「朝鮮の悲劇」に記載されている。
この国を訪れたとき、私はあたかも、現世からアリスの不思議な国に来たような錯覚を覚えた。すべてが幻想的であり、異質的であり、私は自分自身が目覚めているのか、それとも夢をみているのか、と自問せざるをえなかった。当時の朝鮮の制度は、多くの点で5、6世紀前の中国の行政に似ていた。国王は専制君主であり、王は領議政(総理)と左・右議政と6曹(省)・礼・戸・兵・工・刑・吏の長官である判書によって輔弼されていた。それはあくまで形式であって想像できないほど腐敗は進行しつつあった。
監獄は人民の呪詛のまとであり拷問は自由に行われていた。3本の棒で上手に、ひざや腕の関節を外す技術は見事なものであった。烙刑は熱した棒で体を灼きつけたし、笞刑は罪人の尻をなぐるのだが罪の軽重によって重棍大棍から5段階あり、この2メートル近い杖で何回かたたくと血がほとばしり、肉片は飛び散り、7回から12回打つとむきだしの骨の上をたたくことになるので重症となることは確実である。庶民は大地に伏して叩かれるのだが両班クラスは木製の台の上に伏して叩かれる恩典があったが痛いことは同じだったろう。足の鋸挽きもあれば、刃物で肉を切り取ることもあり、その時間の長短、残忍の程度は全く裁判官の気まぐれによる。拷問にも屈しない容疑者は死刑の宣告を受けた。定期的な監獄清掃に際しては一時に数十人の囚人を絞首して片付けていた。たしかに清掃は完了したことであろう。多くの囚人は大きな板を首に架されて動けず地面をはい廻っていた。
監獄の建物も変わっていて、屋根はあるのだが壁がなくて棚になっているから、建物自体が雨風吹きこむ動物園の檻になっているのだ。死刑にいたっては、見せしめの効果があるように、あらゆる工夫が実施された。中国伝統の陵遅処斬も行われ、生きたまま六つに切断し、肉塊は大道を引き廻しては通りがかった通行人から金を出さすのは身分の低い警官の役得であった。結局肉塊は犬が食べたというが犬肉が大好きなのは人民たちであった。少し前までは腕や足を切るのに斧や刀を使わずに、四股を四頭の牛に縛って、牛が四方に走るように駆り立て、肉体をちぎったのである。
終戦後の混乱した満州の共産地区では、馬を使って日本人を殺した例はいくつも報告されているところをみると、これも中国文化の移入なのであろう。李氏朝鮮が500年の惰眠をむさぼるには、このくらい残酷な刑を繰り返して人民を押さえ込む必要もあったのだろう。何しろ、不満があればすぐ暴れだす、強い民族なのだから。但し裁判は売買されていた。地獄の沙汰も金次第であった。裁判官が公務の暇を見て、被告から金銭を貰って入念に調べて万一にも無罪の民が有罪になるのを防ぐという(ずいぶん都合のいい理由だが)儒教精神から来たという習慣である。この悪習は司法官の特権みたいなもので、日本の統治時代を別として後年1980年代に入っても存続している。韓国政府が、これを廃絶しようとしたこともあったが司法官はストで対抗したことがある。国書刊行会 [著] 古野 直也ASIN:4336031940 /−/280頁発売日:1990-12ランキング&評価:---位5.0
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ちなみに、このような朝鮮の卑劣な内政を日本の有能な官僚を引き連れて改善したのが伊藤博文候であったが、伊藤候は、テロリストの安重根に暗殺されてしまった。韓国では、テロリストの安重根が英雄扱いされている。
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入り口には「韓中共同抗日闘争」特別展。もうここから緊張感が走る。残虐の限りを尽くした日本人、そこから正義を貫いて命をかけて独立しようとした人々…ここで「ナヌン、イルボンサラム、イムニダ(私は日本人です)」というようなことを言ったら袋叩きにされそうな雰囲気に包まれた。
などと余裕を持ってみていられたのは最初のほんのわずか。ほどなくして日本による韓国への侵略がメインの展示になっていく。三一闘争における日本兵との一騎打ちの再現シーン、皇后の暗殺の等身大再現シーン、拷問の等身大再現シーンと、リアルで残酷な展示に息が詰まってくる。しかもそれらの人形は人が近づくと首をふったり、まばたきをしたりするのだ。明治大学刑事博物館で「世界の拷問展」を見たことがあるが、そこでは拷問器具だけが展示されていた。しかしここでは拷問されている韓国人自体に焦点が当てられている。(写真右:立ったまま動けなくなる拷問部屋。窓からはこの部屋に入れられた韓国人の人形が見えるようになっている)
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