・占領政策の一環 p211
パール判事の日本無罪論 (小学館文庫)
我々は冷静な理性をもって、東京裁判をもう一度見直す必要がある。(中略)「この裁判の最中に、毎日流されていった法廷記事なるものは、半分は嘘であった。司令部が新聞を指導し、いかにも日本が悪かったのだと、日本国内はむろんのこと、世界のすみずみにまで宣伝した。しかもわが方としては、これに対抗する手段は封ぜられていた。判決は下されても、判決批判はいっさい禁ぜられていた」
清瀬一郎弁護士はそう慷慨し、さらにつぎのように述べている。
「それゆえ、世間では、日本の旧軍人は、戦時中敵国俘虜の虐待や、婦女の凌辱ばかりしておったのかしら、日本政府は強盗やギャングのような侵略戦争の共同謀議ばかりしておったらしい。マッカーサーは偉い。マッカーサーのおかげで、天皇陛下は戦犯ともせられず、お助かりになったのだ、というような感想を深く国民に植え付けてしまった。ほんとうは、かかる感想は大いに誤っておるのだが、しかしこれが誤解だといっても、今では世間は信用しない」(菅原裕著東京裁判の正体」序文)国際倫理調査会 [著] 菅原 裕ASIN:4336044503 /単行本/333頁発売日:2002-08ランキング&評価:---位価格:¥ 1,575 [2008-08-17 Amache]5.0
5 - こんな素晴らしい本があったなんて!
5 - 日本人であるが故に
4 - 昭和36年の著作にしては・・・・
5 - 埋もれていた名著
5 - 日本国憲法を改憲してはならない
悪いことに権力追随の時代主義的ジャーナリズムが、これを日夜煽り立てた。戦時中軍閥の意のままに操縦されたと同じように、占領軍の意のままに操られたのである。”真相はこうだ”という放送は毎夜続いた。昨日まで軍部に迎合していたいわゆる文化人も官僚も、たちまち豹変して、占領政策を謳歌し、軍部の悪口を並べ立てた。挙世滔々ということばがあるが、まさしく世をあげて、流れる大河のごとく、日本の伝統や権威までも抹殺して、占領政策の片棒を担いだのである。ことに日本の教育は根底からくつがえされ、歴史や道徳は教えることさえ禁じられた。国語や理科の教科書までが、墨で塗りつぶされたばかりか、教育制度そのものまでが改編されてしまった。その影響が、今日、なお尾をひいているのは、むしろ当然といわねばならぬ。
安保闘争も基地反対闘争も結構である。だが、このアメリカ占領軍が、傍若無人に撒き散らし、生み落とした占領政策の病原を除去することなくしては、健康な日本を回復することは困難である。基地は沖縄や砂川にばかりあるのではなく、むしろお互いの心の中に巣くう占領政策の残りかす−ことに青少年に及ぼしつつある恐るべき影響の中にこそ、最大のものがあることを自覚すべきであろう。
東京裁判を中心とするアメリカ占領政策の根こそぎの掃除なくして、いかに”人づくり””国づくり”を口にしたところで、所詮は無駄であることを知るべきであろう。小学館 [著] 田中 正明ASIN:4094025065 /文庫/253頁発売日:2001-10ランキング&評価:---位価格:¥ 560 [2008-08-17 Amache]4.5
5 - 太平洋戦争の真実
5 - 法の正当性
5 - 東京裁判とは何か?
4 - 負けたからといって、民族の誇りを忘れてはいけない
4 - パール判事は
占領政策によって、教えることさえ禁じられた歴史を私自身受け継いでいなかったことに我慢ならなかったのである。取り急ぎ、当時の子供達が学んだ歴史を知りたいと考え、次の「少年日本史」(現行版:物語日本史)を購入してみた。子供向けの書籍は、文章が平易にかかれており、読みやすい。参考までに、はしがきを引用する。
・はしがき p3
少年日本史 平泉澄著
日本の少年よ!我が愛する皆さんよ!私は今、皆さんに、大切な贈物をしようとしているのだ。それは何か?即ちこの少年日本史だ。これを贈ろうとする考を、私は前々からいだいていた。
それは20年近く前に、ある中学校で、急に講演をした時に始まる。私はいった。「皆さん! 皆さんはお気の毒に、長く敵の占領下に在って、事実を事実として教えられる事が許されていなかった。今や占領は終った。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ」。こう言って、2、3の重要な歴史事実を説いた。生徒一千人。その千人の目、二千の瞳は、私が壇上にある間は、壇上の私に集中し、壇を下りた時には、壇下の私に集中した。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取卷いた。彼等は何も言わぬ。ただ穴のあくほど私を見つめるのみだ。私は自動車に乗った。車は生徒に取卷かれた。4、5人の生徒は、自動車の屋根の上へ這い上って来た。車はしばらく動きがとれなかった。この感動以来、私は真実の歴史を、ひろく日本の少年、皆さんに語りたいと思いつづけて来た。機会はついに到来した。今や私は、皆さんに語りたいと思う事を、少年日本史一冊にまとめ、これを皆さんに贈る事が出来た。皆さん、どうかこれを受け、これを通読して下さい。
皆さんは日本人だ。皆さんを生んだものは、日本の歴史だ。その顔、その心、その言葉、それは皆幾百年前からの先祖より受けついだものだ。それを正しく受けついだ者が、正しい日本人だ。従って、正しい日本人となるためには、日本歴史の真実を知り、これを受けつがねばならぬ。然るに、不幸にして、戦い敗れた後の我が国は、占領軍の干渉のために、正しい歴史を教える事が許されなかった。占領は足掛け8年にして解除せられた。しかし歴史の学問は、占領下に大きく曲げられたままに、今日に至っている。従って皆さんが、この少年日本史を読まれる時、それが一般に行なわれている書物と、大きく相違しているのに驚くであろう。
皆さんよ、人の貴いのは、それが誠実であるからだ。誠実は一切の徳の根本だ。その誠実を守るためには、非常な勇気を必要とするのだ。世の中には、自分の欲のために、事実を正しく視る事の出来ない人もあれば、世間の人々を恐れて、正しく事実を述べる勇気のない人も多い。今後の日本を担うべき少年の皆さん、敗戦の汚辱を拭い去って、光に充ちた日本の再興にあたるべき皆さんは、何よりも先ず誠実でなければならぬ。そしてその誠実を一生守り通す勇気を持たなければならぬ。日本の歴史は、さような誠実と勇気との結晶だ。およそ不誠実なるもの、卑怯なるものは、歴史の組みたてにあずかる事は出来ない。それは非歴史的なるもの、人体でいえば病菌だ。病菌を自分自身であるかのような錯覚をいだいてはならぬ。
私は今、数え年76歳だ。従って本書は、皆さんへの、最初の贈物であって、同時に最後の贈物となるであろう。私は戦で疲れ切った心身に、ようやく残る全力をあげて、一気にこれを書いた。その原稿一千枚。それを私は歴史的假名遣で書いた。それが正しいと信ずるからだ。しかし皆さんは学校で、現代假名遣しか学んでいない。よって時事通信杜は、皆さんの読みやすいように現代假名遣に改めたいと希望した。私は他日、日本が正しい日本にかえる時、必ず歴史的假名遣にかえるに違いないと信じつつ、しばらくその申入を容認した。
昭和四十五年秋九月
平泉 澄講談社 [著] 平泉 澄ASIN:4061583484 /文庫/249頁発売日:2000ランキング&評価:---位価格:¥ 924 [2008-08-17 Amache]4.0
5 - おもしろい本です
5 - 憂国の若人の必読書
5 - 日本史を総覧する「良いコンパス」になる
5 - 日本の物語は面白い!歴史が苦手でもお気になさらず。
3 - 第三者的な評価の試み
講談社 [著] 平泉 澄ASIN:4061583492 /文庫/254頁発売日:1979-02-10ランキング&評価:---位価格:¥ 924 [2008-08-17 Amache]5.0
5 - 日本史を総覧する「良いコンパス」になる
5 - つわものたちの時代に突入!
講談社 [著] 平泉 澄ASIN:4061583506 /文庫/207頁発売日:2000ランキング&評価:---位価格:¥ 840 [2008-08-17 Amache]5.0
5 - 日本史を総覧する「良いコンパス」になる
5 - 読み終えるのが寂しい!
5 - 維新の精神
滅私奉公や、和の精神を大切にすることで国家が繁栄する内容の物語が多いと感じた。松下幸之助の「横軸の思考軸」は、「和の精神」を上手に活用した一例であろうか。
・松下幸之助・横の思考軸 p8
松翁論語
「多くの人達の知恵」。松下はこれを「衆知」と表現し、衆知を集めることの重要性を強調し続けた。「衆知」の肯定である。「人間一人ひとりの知恵というものは人によって異なるとしても、例えどんな偉大な人であってもおのずと限りがあります。その限りある知恵でものをみたり考えたりしたのでは、物事の実相を十分に見極めるということもできませんし、往々にして過ちを犯す結果に終わってしまうでしょう」衆知は自分の周辺の人々の知恵だけを指すのではない。また同時代の人々の知恵だけを指すものでもない。先哲諸聖を含め過去現在のあらゆる知恵を指す。松下はそうした衆知を集め続けながら、自分の内部に醸成される新たな知恵を待ったPHP研究所ASIN:4569543545 /−/301頁発売日:1994-04ランキング&評価:---位価格:¥ --- [2008-08-18 Amache]5.0
5 - 現代の孔子に学ぶ
5 - 何度も読み返しました。
5 - 松翁は現代のキリストか仏陀か?
5 - 人間重視の松下幸之助翁
また、「和の精神」をもった国民が暮らす社会をよりスムーズに進めるためには良い幹事役が必要である。その幹事役が我が国では、官僚である。
・よき官僚とは全体への奉仕者
上書保存 p205
(前略)憲法によれば、官僚は「全体の奉仕者」である。日本語にはあいまいなところがあって、全体の奉仕者といえば分かったような気もするのだが、よく考えてみると、何の全体なのかがはっきりしない。
日本国憲法には、成立の敬意から英文版がある。それによれば「全体の奉仕者」はservants of the whole communityである。つまり全体とはコミュニティ全体のことである。
コミュニティとは、要するに地域や伝統や文化や統治機構などを共有する人間の集まりである。
別段そのサイズを問うものではないから、国、地方公共団体、集落、隣組、PTA、同窓会、いずれもコミュニティにあたる。
コミュニティには必ず幹事が要る。そもそも、人間が始めて集団を成したときから、リーダーないし幹事役が存在し、共通の費用の負担が始まっていたに違いない。国(地方公共団体)というコミュニティが専門化したのが公務員(選挙で選ばれたものと、一定の資格・基準で任命されたもの<官僚>とがある)であり、共通の費用負担が制度化されたものが税である。
よい感じがいる同窓会は活発になる。よい当番にめぐまれた隣組の人間関係はスムーズになる。同様に、よい官僚にめぐまれた国家の運営は確かなものになる。よい幹事役の存在はコミュニティ全体の幸せである。優れた官僚の存在も国全体の幸せである。
よい幹事役はコミュニティ全体のことを考えて行動しなければならない。かりそめにもコミュニティの中の特定のグループの利益などを考えてはならない。コミュニティを構成する人々はそのことを期待し、その点で幹事役を信頼している。官僚がservants of whole communityとされる所以である。
全体への奉仕は一部の利益に反することも
ワイマール憲法には「公務員は、全体の奉仕者であって、一党派の奉仕者ではない」という規定があった(第130条)。特定のグループには政党も含まれる。言うまでも無く、選挙で選ばれる公務員(議員など)については話は別であるが、いわゆる官僚にとっては、ワイマール憲法の精神は現在も生きている。いわんや官僚が利益団体のような特定のグループに奉仕することは論外である。
「全体」には、当然、政も官も民も、全て含まれる。全体を分類してしまって、対立関係の構図の中で官僚論をやるということは、官僚を特定グループと結び付けかねない危険すら秘めているような気がする。一方で規制緩和を求めるグループがいる。他方で規制を望むグループがいる。いずれも民に属するグループの利害の衝突である。この場合、どちらが正しいかではなく、どのようにしたら全体の利益になるかが官僚にとっての問題である。どちらが正しいかで行動しては、特定のグループの奉仕者に堕してしまう危険がある。
(中略)
最近は市場経済と競争が万能のように言い立てられる。しかし、親子の絆、夫婦愛、子供の教育、近隣のふれあい、恵まれないものに対する同情心、法と秩序を守る精神、祖国のための戦死と言ったこの世で本当に貴いものは、市場原理や競争の外にある。
行政の仕事も大部分は市場原理と競争にまかせておけない分野である。全体のために黙々とその仕事に邁進して欲しい。日本には黒子ということばがあるが、匿名性(anonymitiy)もまた官僚の美徳なのであるから。徳間書店 [著] 尾崎 護ASIN:4198910588 /文庫/361頁発売日:1999-02ランキング&評価:---位価格:¥ --- [2008-08-18 Amache]No User Review
「和の精神」と「全体の奉仕者としての官僚」がうまく結び付くことで、住み心地のよい社会が形成されると考える。一方、敗戦によって押し付けられたアメリカの思想とはどのようなものであろうか?池田徳真氏の書籍「イギリス人、フランス人、ドイツ人の性格」から引用してみたいが、その前に、まず池田徳真氏のプロフィールを以下に記す。
・日本が守るべきもの 佐藤優 p15
国家間、文明間対立を基本とする危機の時代
近過去の歴史を振り返ってみよう。1970年代には、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ということが言われた。この時代状況に強い危機感をもったインテリジェンス(情報)のプロがいた。大東亜戦争中、陸軍参謀本部の嘱託として、連合軍捕虜による謀略宣伝放送「日の丸アワー」の責任者を務めた池田徳真だ。池田は、徳川15代将軍慶喜の孫で、東京帝国大学文学部を卒業した後、イギリスのオックスフォード大学で旧約聖書を専攻した。池田はイギリス流の謀略宣伝術を身につけた稀有な人物だ。
アメリカの思想は、次のようなフランス人の思想をベースに構築されている。
・イギリス人、フランス人、ドイツ人の性格 池田徳真著
3章 私の見たヨーロッパ人
2.わたしのみたフランス人 p42
(前略)フランス人は、イギリス人とまるでちがって、頭の回転がすばらしく早い人たちで、物事の理解がひろく深く、各個人がいろいろな思想を考えて強烈な自分の主義をもって生きている。イギリス人はフランス人のことを「フランス人は、頭の早く回転する素晴らしい人たちです。しかし、ときどき空回りもするようです」と悪口をいうけれども、フランス人の頭のはたらきは、そう簡単にわかるものではない。
その最大の例が、1789年のフランス大革命である。あのときフランス人は、気違いのようになって人類の歴史の中から自由、平等、友愛という三つの思想のハイライトを選び出したのである。その「自由」はギリシアから、特に言えばアイスキュロス(BC525-456)の悲劇「縛られたプロメテウス」から、その「平等」は旧約聖書の預言者から、特に言えば預言者アモス(BC760頃)の書いたアモス書から、そして「友愛」は新約聖書の福音書のキリストの言葉から取り出してきたものである。
フランス人は、この三つの思想が、人間の社会で同時に共存できるなどとは言っていない。しかし、その後の人類思想の流れの方向をよくみると、人類はこの三つの思想の方向へ向かって順番に進んでいるように見えるから不思議である。
ごくおおざっぱに、フランス大革命以後の人類の歩みをながめてみると、次のようである。すなわち19世紀は人間個人の自由が強調された時代であり、20世紀は社会主義で人間平等を人類が取り入れた時代である。そして21世紀は、その自由と平等を友愛で調和する時代になりそうである。いずれにしても、その後この三つの思想以外に人類の心を強く引き付ける第4の思想が現れてこないのだから、フランス人の選択眼の鋭さと正確さには、感心しないわけにいかない。
(中略)
5章 アメリカのかげり p250
(中略)
A自由すぎる社会と平等すぎる社会
アメリカの社会は、自由と平等の二つの思想の柱をたてて、国家社会を組みたてている。それはすばらしいことであるが、無制限自由と無制限平等は、思想的に矛盾する場合はないのであろうか。例えば、アメリカが責任を持っている中南米のはなはだしい貧富の差は、アメリカの平等主義とどういう関係になっているのであろうか。
B自由がすぎると、若者をまどわす社会になる
今のアメリカの社会は、若者の転職が自由である。現在の仕事がちょっと気にいらないと、どんどん転職する。それゆえ、熟練工とか熟練社員が減る傾向にある。
アメリカは若い時代に自分の力を試すことのできる魅力的な社会ではあるが、今のように転職しては、競争力が弱くなるのではあるまいか。このように過ぎた自由は、アメリカの弱点として現れている。
C平等主義を無制限に発展させると、衆愚政治になる危険がある
大衆の直観は、正しいこともあるが、「国家の長い将来を考える英知は、大衆の合議からは湧いてこない」とイギリス人は言っている。今までアメリカ人は、ヨーロッパ人の指導者精神に一顧の努力もしなかった。世界一の指導国がそれでよいのかどうか。深く考えるべき時がきたのであはあるまいか。
D自由な資本主義を無制限に押しすすめると平等は無視される
貧富の差はひどくなり、そして資本主義の功罪という言葉があらわれてくる。アメリカが金儲け偏重の社会であることはわかるが、自由、平等の思想は経済の上にこなければならないものである。それを知ってアメリカ人は、社会で自由、平等をどう進めようとしているのであろうか。
(後略)
アメリカの思想の「自由」と「平等」を考えたのが、フランス人である。そのフランス人でさえ、この思想が、人間の社会で同時に共存できるなどとは言っていないのである。自由な資本主義を無制限に押しすすめた結果、平等が無視された国々がいたるところにあるのも、「自由」と「平等」が同時に共存し難いことを示唆している。
ここで、資本主義による長所と短所を高橋亀吉氏は、次のように述べている。
・第3節 富の強制的増殖(上)p147
経済学の実際知識 第5章 富の保存および増殖
(前略)
資本主義経済は、この点、すなわち富の保存及び増殖については、実に最も都合よく仕組まれている。例えば、今日の企業の目的は、費用として支出したものよりも、その報酬として収入したものがより大ならんことにある。すなわち利益を得ることが唯一の目的である。(中略)
利益をますます増大するためには、富の蓄積をいかなる形式で行うかが最も肝要な問題となってくる。例えば同じ富の蓄積でも、ピラミッドや、万里の長城や、中世紀の大伽藍や、奈良の大仏ではこれを保存する利子も、これを増殖する利益も産まない。鉄道とか船舶とか工場とか機械とかにして初めて富の蓄積が更に利益の増大を伴い得るのである。かように富の蓄積形式そのものが、富の保存と増殖とに最も適当するように苦心する努力が発達したのひゃ、実に資本主義経済の下においてである。(中略)
さりながら、資本主義の仕組めるこの「富の保存と増殖」とに対する右の賛辞は、過去の資本主義に対して捧げたものである。資本家が得たる利益を、大衆に代わりて大衆の利益のために増殖してくれた限りにおいてそれは真実であったのだ。しかし、今日の如く、資本家がその得たる利益をもって、数粒のダイヤモンドを飾らんがために幾万の餓民を鉱山に酷使し、数人の家族に安逸奢侈の生活を与えんがために、数十万人の糧となり衣となる材料と労力を濫費する時代においては、問題は著しく異なってくる。(後略)
資本主義による利益の増大化の方向が、民(大衆)と同じであれば社会にとっても良いのだが、自由主義的思想のように利益が特定個人(資本家)のためになると多くの弊害をもたらす。自家用ジェット機に乗り、お金で買えないものはないと豪語し、一時期マスコミにもてはやされたホリエモンは、資本主義の弊害によって生まれたのであろう。
この富の保存と増殖といった資本主義の長所を残したままで、自由主義的思想の影響などで利益が特定個人に偏りやすいといった短所を改善する方法が、実はあるようだ。
・第4節 富の強制的増殖(下)p149
経済学の実際知識 第5章 富の保存および増殖
(前略)古来、富の巨大なる蓄積は大衆に対する何らかの強制的節約によれること、しこうしてこのためには資本主義の仕組みが最も有効であったこと、ところが資本家の濫費という弊害が増大してせっかくの資本主義の仕組みに頼ることが好ましくなったこと等が前節において述べた大略であった。
自然、誰の頭にも湧いてくる問題は、資本家に代わって、大衆に節約を強制し、富の蓄積を管理する機関はないであろうかということであろう。この候補者はすなわち政府である。もし政府という名に語弊を感ずる人があるなら、ここに政府とは、社会を代表する機関を意味する便宜上の名称だと理解してもらいたい。
政府が大衆に節約を強制する伝来の方法は租税その他の公課である。利益による節約強制の方法は、大衆に与える前に差し引くに反し、租税その他の公課による方法は大衆に一度与えたるものを吐き出さすやり方である。それだけ節約強制の仕方が下手である。ところが、最近においては、政府自から企業を営み、得たる利益をもって大衆に必要な富の蓄積及び増殖を行うに至った。例えば我が国の郵便、電信、電話、煙草、鉄道等のごときである。この場合においては、大衆に節約を強制する方法は資本家のやり方とごうも異なるところはない。しかしながら、その節約強制の結果、得たる富を如何なる形式において蓄積するかについては、資本家が直接自己の利益を目標として選択を決定するに対し、政府は結局民衆の利益が増大することを目標として選択を定める。他の言葉で言えば、資本家はひたすらに節約の大ならんことを目標とするに対し、政府はいくらを節約しいくらを消費さすが最も将来のためによいかを目標にする。即ち、資本家の節約の強制は、節約せしめんがための節約であるが、政府のそれは大衆が最も幸福を得んがための節約である。すくなくとも原則においてそうである。
(後略)
政府による公共事業が、資本主義の短所を改善する方法であった。しかし、公共事業の必要性を唱えるエコノミストの姿がテレビから消えてなくなった。なぜだろうか?
・経済コラムマガジン 02/6/17(第256号)
日本人の心はこんなに軽くうつろいやすいのであるから、簡単に操作される。時々、日本の経済政策は、テレビ局のディレクターが決めているのではないかと思われることがある。これは本誌で前に取上げたことであるが、以前田原総一郎氏がテレビ番組で話していたことである。「日本のエコノミストは嘘つきである。番組では「減税、減税」と言っているが、番組が終わると「田原さん、減税なんかやっても効果はないですよ」と言っている。」と田原氏はあきれていた。
しかしエコノミストに「減税」と言わせているのは、当のテレビ局のディレクターかもしれないのである。先日も、野村総研の植草氏も「公共事業は色々問題があるから、先行減税を行うべき」と言っていた。これがギリギリの発言なのであろう。
少なくとも今日「減税は効果が小さいから、効果の大きい公共事業を行うべき」と言うエコノミストがテレビに登場するケースは皆無である。このような正直なエコノミストは、二度とテレビには登場しなくなるのである。このようにして、間違った世論は形成されて行く。ここで筆者は、声を大にして言うが、今日、有効な経済政策は財政支出の増大であり、減税ではない(これについては本誌でも02/5/20(第252号)「小泉政権のデフレ対策」と02/5/27(第253号)「消費税の減税効果」で論じている)。ところでテレビ局のディレクターの中には文学部の出身者がいるかもしれない。もし文学部の出身のディレクターに、エコノミストは発言をチェックされているとしたら面白いことである。
マスコミは、自由主義的思想が生んだホリエモンをもてはやすことには長けているのだが、公共事業の必要性を唱えるエコノミストとなると、驚くべきことにテレビ局から排除するのである。個人の利益追求と、公共事業のような全体利益を削減することを善しとする考え方を、新自由主義と呼ぶようであるが、マスコミは新自由主義の片棒を担いでいるようにみえてならない。
さらに悪いことに、全体の奉仕者となるべき官僚も今では自由主義的思想に侵されているようである。
・日本が守るべきもの 佐藤優 p20
もっとも最近、筆者が聞いた話であるが、外務省でも休憩時間に携帯電話で株価をチェックし、購入している輩がいるということだ。その輩は、「こうして株式投資を行っていないと、実体経済に関する感覚が鈍くなる」などとうそぶいているということだが、国家官僚として必要とされる経済知識は、投機行為とは基本的に異なる。
本件は、まさに「思想の問題」である。新自由主義が浸透することによって、権力、情報が全てカネと交換可能という信仰が、日本のエリートに刷り込まれてしまったら、このような不祥事が生じるのだ。カネを敵視する必要はない。しかし、カネは自分と家族が生活していくのに必要な分だけあれば、それで十分という感覚が薄れ、「事情はよくわからないが、とにかくカネを多く集めるのはよいことだ」という宗教を知らず知らずのうちに誰もが信仰するようになってしまった。
(中略)
カネだけを追求していると、そのうちに国家、社会、民族などのもつ価値がわからなくなってくる。
経済合理性の基準だけで動かない世界はたくさんある。学術や文化の世界が宗である。外交も究極的にはそうだ。国家や民族の
矜持が経済合理性に基づく計算を超えることもある。大東亜戦争に突入した際の日本人の論理を思い出せば十分であろう。そもそも政治とは、経済合理性の論理だけでは格差が拡大し、それが階層として固定すると国民の同胞意識が維持できなくなるという観点から、経済に介入し、再配分を行う機能だ。
(後略)
頼みの政治家はというと・・・
・「改革」か「カイカク」か 城内実著 p51
月刊 日本 2008年 02月号
(前略)
私が徹底的につぶされた理由は、某政権中枢から頼まれて出来レースの人権擁護法案(=人権侵害糾弾「特高」法案)に徹底的に反対したことと、郵政米英化法案に本会議の採決で一番初めに青票(=反対票)を投じたからである。
また、平成17年6月7日の郵政民営化特別委員会において竹中大臣に対して「郵政民営化について日本は米国と過去1年間に何回協議したか」と一番触れられたくないことを質問したことも関係している(答=17回)
(後略)
選挙で破れてしまった。そして、勝った議員は、新自由主義の方々であった。
・経済ってそういうことだったのか会議
竹中 (前略)最近になってもう一つ新しい考え方がでてきました。例えば、団塊の世代の中堅の管理職がいてですね、この人が失業したとします。一度失業したらもう仕事はありませんよね。ない理由は簡単で、役に立たないからですよ。
佐藤 きつい言い方ですが、現実的には本当ですね。
竹中 今まで一つの会社で一生懸命やってきたんだけで、気がついてみたら今の情報通信革命に対応できないからEメールもうてない。ましてや英語も話せない。だから失業率は確実に増えています。でも考えてみたら英語が使える人だったら欲しいとか、通信ネットワークを自由に操れる人だったら欲しいと思ってる会社は結構あるんです。だから労働需要そのものがないわけじゃない。労働需要に合ったような労働供給になってないんです。こういうものを「労働の需要と供給のミスマッチ」と言います。
では、このミスマッチをどう解消すればいいかというと、今までずっとサラリーマンをやってきたおじさんができるような仕事を作るのではなくて、このおじさんがちゃんと勉強し直せばいいんです。つまり人的資源を高めることですよね。教育投資を行う。これを進めるような政策を「積極的労働市場政策」と言います。日本経済新聞社 [著] 佐藤 雅彦, [著] 竹中 平蔵ASIN:4532191424 /文庫/409頁発売日:2002-09ランキング&評価:---位価格:¥ 630 [2008-08-18 Amache]4.5
4 - 経済初心者におすすめ
4 - お金から見た経済初心者向けの世界観
3 - なかなかの実力
4 - 佐藤氏の質問力&イラストがいい!
4 - 振り返る小泉改革
小さな政府と称して、住み良い社会を実現する公共事業を政府が放棄したことで需要不足が生じ、その結果、失業者が増えたのが事実ではなかろうか。それを失業者が役に立たないからと誤魔化すのはいかがなものか。違和感を感じずにはいられない。
非常に危機である。かつての日本においても、第一次世界大戦後、資本主義が発展する中で自由主義的発想が社会に充満していた。日本の優れた有識者は、これを思想戦としてとらえていたようだ。
・日本が守るべきもの 佐藤優 p21
(前略)第一次世界大戦後、日本の資本主義が急速に発展する中で、自由主義的発想が社会に充満した。同時に、イギリス、アメリカの帝国主義国政策が日本に対する圧迫を強めた。更に国際共産主義革命を目指すコミンテルンとそれを支える拠点国であるソ連による脅威が強まった。
日本の優れた有識者は、この危険を思想戦としてとらえた。ここに「日本精神講座」と題する12巻の講座がある。その第一巻の扉にはこう記されている。
<日本精神に還れ!!
日本は国際連盟を脱退を機会として、欧米追従の時代から完全に離れた。日本は今後、独自の道を正しく、勇敢に歩むべきだ。それは日本精神に還ることだ。
日本を知れ、祖国に帰れ、これ現下最も痛切に響く声だ。日本の皇道意識の下に日本学を創建すべき時代は来た。かくして初めて真の日本を発見することができる。
最も古くして最も新しい日本、東西思想文化の一大貯水池たる日本、愛と平和と正義に荘厳されつつある日本、かかる祖国を探求することは我等のみ有する幸福だ
>
「日本精神に還る」ということが、現下、日本における有識者の急務だと思う。同時に、「日本精神に還る」という正しい選択を1930年代初頭に行った日本が、いかなる過程を経て大東亜戦争に追い込まれたかと言うことを批判的に検討する必要がある。
最後にもう一度強調しておくが、21世紀は新たな帝国主義の時代である。冷戦時代の惰性で親米保守イデオロギーに縛られていては、我が国体を強化することはできない。また、小泉改革以後の新自由主義をこれ以上、放置しておくと、貧困問題が深刻になり、日本国民の同朋意識が崩れる。更に、新自由主義的な固体(個人)が全てであると言う思想が蔓延すると日本社会が内側から崩壊する。
しかし、筆者は日本の国家と社会は必ず復興すると信じている。それは、本稿冒頭で掲げたように「大日本者神國也」というテーゼが日本歴史の根底に存在し、危機的状況が発生すると有識者がこの基本テーゼに立ち返るからだ。(後略)
日本精神に還りたいのだが・・・。ここで、冒頭で引用した書籍『パール判事の日本無罪論』の「東京裁判を中心とするアメリカ占領政策の根こそぎの掃除なくして、いかに”人づくり””国づくり”を口にしたところで、所詮は無駄であることを知るべきであろう。」という言葉の重みがわかったような気がした。日本の歴史を知らなければ、日本精神に還りようがないからである。



5.0
4 - 昭和36年の著作にしては・・・・

3 - 第三者的な評価の試み




![月刊 日本 2008年 02月号 [雑誌]](http://images.amazon.com/images/P/B0012ORIOO.09.TZZZZZZZ.jpg)





















1.0